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戦前の郷土史家を再評価する
由谷 裕哉 北國総合研究所研究員 小松短大助教授

04.12.27


(よしたに ひろや)1955年金沢市生まれ。慶応大学大学院社会学研究科博士課程修了。専門は社会学、民俗学。99年慶応大学から博士号(社会学)取得。金沢大学、北陸大学非常勤講師、北陸宗教文化学会理事、小松市景観まちづくり審議会委員などを兼務。主な著書に「白山・石動修験の宗教民俗学的研究」など。
 郷土史・郷土史家というと、現在では否定的な評価しかないかもしれない。いわく、お国自慢だとか社会経済史的な視点の欠如だとか。しかし、一般論的に非難して顧みないのは、あまり生産的でないように思える。
 私が近年、個別の郷土史研究の成果として注目しているのは、石川県の文化に関する戦前の郷土史家の貢献、とくに日置謙(1873―1946)や和田文次郎(1865―1930)といった碩学の編著書である。すなわち、日置の『羽咋郡誌』(1917)に始まり『江沼郡誌』(1925)まで計6つの郡誌や、『石川県史』全5巻(1927―33)、和田が中心的な編著者だった『稿本金沢市史』(1916―42)などのテキスト群である。
 これらは、敗戦後に県内の新しい地方自治体が編纂した市町村史と比べてさえ優れた内容だと思うが、むしろ私は、19世紀以前の郷土史研究、例えば森田平次(1823―1903)のような先人の著作と比べた方が、その傑出した点に光を当てることができるのではないかと考えている。
 それをここでは、次の2点に絞って概観したい。第1に民俗事象(フォークロア)を対象として見いだした点、第2に郷土の文化に観光資源を見いだした点である。
 第1の点については、もちろん柳田國男らによる『郷土研究』誌の刊行(1913―17)のような全国的動向の影響も多少あったとは思うが、例えば日置による郡誌では1920年刊の『河北郡誌』以降、「迷信」「慣習」などの項目が設定されてゆく。また、日置の郡誌・県史以外の編著書でも、『石川県之研究 神社編』(1918)が後半の第2章「祭礼」の項目で、現在から考えるとフォークロアに相当するおびただしいデータを収録している。
 この点から私は、1918―20年頃に出された日置のこれら編著書をもって、石川県における民俗(フォークロア)研究が誕生したと位置づけるべきではないかと考えている。
 第2の点についてかつて私は、小松お旅まつりの対外イメージにおいて、『石川県史』第5編(1933)の写真頁における日置のコメントの果たした影響が、少なからぬものではなかったかと考察したことがあった(拙稿「小松お旅まつりの社会史」、『小松短期大学論集』第15号、2003年)。もちろん、お旅まつりについてはそれより早く1910年代から、この頃刊行され始める観光案内的な書籍の一つ『能美郡案内』(石川県能美郡農会、1918)が観光資源として位置づけようとしており、日置の言説はそれからやや遅れてそうした評価を固めたことになろう。
 また、和田が1915年に発足させた郷土史の研究組織である加越能史談会では、真っ先に兼六園保勝会の組織化を行っている。それから2年後、同史談会は金沢を中心に県内で史蹟標榜設置運動を始めてもいる。県内の郷土史家が名勝や史蹟の顕彰に取り組んだのは、和田や同史談会だけではなかった。日置の六郡誌の後を受けて『鹿島郡誌』(1928)を編んだほか、前田利常や改作法に関する著作でも知られる小田吉之丈(1874―1951)も、郡誌執筆と相前後して七尾城址の保存運動に奔走していた。
 戦前の史蹟顕彰運動については近年マルクス主義の立場の歴史家が注目しており、個々にはボランティア的だったりしたそのような動きも、結局は1930年代後半の国家総動員体制に向かう権力や支配の編成過程を補強するに留まった、と否定的に位置づけられることが多い。ここでは紙幅の制約もあって充分な代案を打ち出せないが、私は県内の郷土史家によっておよそ1910年代に始まる上述のような史蹟名勝や祭礼への関心と、そのうちあるものへの観光資源としての注目に関しては、異なる評価も可能ではないかと考えている。
 というのも、こうした郷土史家の新たな探求と同時代的に、彼らに言及される側の神社神職や祭礼を担う町内(まちうち)が、20世紀に入るに伴い以前とは異なる言説を展開し始めるからである。日露戦後のお旅まつりが典型的にそうであったし(前掲拙稿)、他にも全国の府県郷社の由緒をまとめた『明治神社誌料』(1912)の県内分で、19世紀までに森田平次らがまとめた各神社の由緒とは明らかに異なる主張が見られるようになる。
 ちなみに、この新しい神社縁起集の実質的な編者と考えられるのが、石川県出身の内務官僚で日露戦後の地方改良運動を推進した井上友一(1871―1919)であることも興味深い。今後、和田や日置、小田らによる県内郷土史と、彼らと同郷にして同時代人でもあった井上の地方自治を巡る言説(『救済制度要義』など)とを比較しながら、どう評価しうるかも課題となるだろう。
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